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わがままな自由は自由じゃない?!


自分のくらしに自由がないとか良く聞きますが、ほしい自由の形ってどんなんかイメージしている人は意外に少ないような気がしませんか??

仕事をしなくていいことが自由

金が溢れるほどあれば自由

ホームレスになれば自由

どれも、規制のある自由ですよね。

あいつは自由でいいな〜って言われる「あいつ」も自分ではきっと自由とは思ってないと思いますが…(^^;)

一人の世界はかなり自由度が高いと思うけど、孤独だと文句が出てきますよね。
自由ってのは、基本的に他者の介入のない自分の思いのままであることじゃないですかね?

「あれがどうだから自由じゃない」とかって言っているようでは、自由を求めているんじゃなくてわがままを通したいだけですよね。

わがまま言いたいなら、「自由」って言葉は振り回さない方がいいかな??

得るモノがあれば、失うモノがある

人間は集団で生きる習性があるので、人間社会に身を置きたければなにがしかの社会的な規制の中で暮らさなくてはならないわけですから、自由ってものにも規制がかかります。

人間社会の中で唯一完全に自由にできるのが、自分自身のことです。
手でグーを作ろうと思えばすぐにグーができるし、トイレに行こうと思えば誰に相談もなく行けるしね〜
動く、寝る、学ぶ、遊ぶ、全て自分次第だから、これほどの自由はないってもんですよ。

その自分のコントロールが難しいから、得られるはずもない社会に自由を求めるんでしょうね…

ってな感じで実際には、自由って得ようとすれば、それなりの覚悟がいるように思いますね。
考え方によれば外部に自由を求めるほど、自分に不自由をもたらす結果を生むってことになるように思いますね。


自由がほしい方は、集団生活をしない猫を見習いましょう!!
彼らは、餌をもらう時は、自分の自由を捨てて甘えます。
満腹になれば、自分の思うままに過ごします。
これって最高でしょう???

決して、集団行動を基本とする犬を教師にしてはいけませんよ(;^_^A

人生はリセットしてもつまらない…(^^;)


もしあの時、○○だったら…
オレの人生が変わっているかもな〜ってなことを良く言いますが、はたしてそうなんかな〜って考えてしまいます。

もし、あの時○○だったら、人生は違ってくるけど同じように「もし、あの時…」って言ってると思うのですが…(^^;)
では、どんな生き方がいいのかってことが問題になりますよね。
生き方の問題は、幸せ探しってことになるんじゃないでしょうかね。


こんな解かったようなこと書いてても、不満だらけの日々をおくる自分がいまして、全然幸福感って味わってないんですね。
文句ばっかり言ってまして、後悔ばかりが頭の中をグルグル巡っているわけです(;^_^A

だから自分のコトから考えると情けなくなるので、客観的に考えてみようってことなんですが…(^^;)
それで、こんな考え方ってどだ?って自分に返してみた答えがこんな感じのことです。


どんなにツライ人生でも、やり直さなくていいから生きていけるんじゃないですかね??
何度もリセットして人生をやりなおすなんて、きっとたまらないですよね。
だって、リセットした時に、以前の人生を覚えてなきゃリセットの意味はないし、以前の人生を覚えてれりゃ「あっちの人生の方が…」ってなことを言い出すと思うんですね。

結局、人生のやりなおしはダメってことなんですね。
だから、今の自分がどうやって生きればいいのかってことに焦点をもってきてから考えてみます。

まず、満足できないってことが不満の原点ですから、不満を持たない生き方を見つけるしかないかな???

そういった意味からすれば、不満のない…いや、あっても人生を変えるほどには育たない程度の不満に抑えられる生き方をしていれば、十分に満足感を得られるんじゃないですかね?
小さな10の不満は、1つの満足で包み込めるって感じですかね。
そんな人生を生きれれば幸せだと思いますね。


こうして考えてみると、人生の価値って現状の生活状態等ではなくて、心の在り方にあるように思いませんか?
何かを求めながら生きることは否定できませんが、求めることに重きを置くことが問題のように思うのですね。

・モノを得るための人生じゃなく
・地位や名誉を得るための人生じゃなく
・欲望を満たすための人生じゃなく
・長く生きるための人生じゃない


今日はコレができた!
メチャきれいな夕日を見ることができた!

等々、なんでもいいから、日々の出来事に対して小さな幸せとして目を向けられる、気持ちのゆとりを持った生き方ができればいいように思いたいですね。

刑務所に入っていた受刑者が、格子から見える鳥を見ていて興味を持ち、鳥の観察をし始めて最後には鳥博士になったって話を聞いたことがありますが、どんな状態でも見方を変えれば色んな出来事に幸福感を見出すことができるんじゃないですかね??


自由、自由って言うけど、自由がありすぎると不自由になるような気がしませんか??
こうして考えれば、モノが有り余り無数の選択肢がある現代、もしかすると幸せじゃないかも知れないのですね…


う〜ん、だんだん解からなくなってきた…
考えなきゃえかったな〜Σ( ̄ロ ̄lll)

大人っていう感覚が乏しいね〜(;^_^A

0111大人の感覚が乏しいね〜(;^_^A


私は、大人と言うよりもただのおっさんですが、なんか昔見てた大人と今の自分では随分差があるような感じがしますね〜!

なんかフラフラした根無し草みたいな時を経てきて今があるわけなんですが、どうも昔の大人のようなピリッとした所がない…(;^_^A
カバチ(生意気)を言うのとため息のつき方には年期が入っているけど、若い人たちの見本となれるようなことが見当たらないですね。

戦争経験者の私の父は、普通のサラリーマンとして真面目に勤めた人で、多くを語らないけどとても頼りになる大人でした。
戦争っていう特別な世界を経験したことが戦後生まれの私との決定的な違いのように思いますね…
戦争がいいっていうことではないのですが、生死のハザマを経験した人は何かが違うように思いますね。

昔、朝鮮戦争を経験された先輩がいましたが、その先輩の肝の座り方には尊敬の念を持っていました。
いつもニコニコして優しい方ですが、何事かをする場合お根性は私なんぞは足元にも及ぶものではなかったですね。

↑まぁ、元々私は根性ナシですからねΣ( ̄ロ ̄lll)

戦争のない今で言えば、夢中でスポーツをやってきた方も違うように思いますね。
結局、何にせよここまでやったという自信の程の現れがあるかないかってことかも知れませんね。


苦労ってほどの苦労もせずに、ノホホンと過ごして来ただけじゃ一本筋が通ってないのはどうしようもないですかね…??(;^_^A

今頃気づいていちゃ遅すぎかも知れませんが、今日ふと思いました(;^_^A

和田アキ子の土下座に見る。口は災いのもと!


和田アキ子さんは紅白に出場する「すぎもと」のことを「知らない」と公言していたが、本業は作曲家のすぎもとが「待ちわびて」などアッコの曲を作曲していたことがスタッフの調べで明らかに。アッコは驚きのあまり口をあんぐり。(スポーツ報知から)

和田アキ子さんは、親分肌の芸能人として人望もあついようですが、作曲家すぎもと氏のことを知らずに、ついついしゃべったことで土下座をして謝ったそうです。
口は災いのもとと言いますが確かにそうですね。

私もしゃべり過ぎることが多々ありましてよく失敗もします。
どうしてもしゃべりが好きな人は、失言もでてきますよね〜(^^;)
以前、二枚目俳優が二枚目であるために、走らない!慌てない!ことで転んだりするような、カッコウ悪いアクシデントが起きないようにするとか書いてありました。

信号が変わりそうな時に走るのが三枚目。
焦らずに待つのが二枚目。

ってことですね〜
ウンウンとうなずけた記憶があるのですが、それからすると寡黙も2枚目の危機管理かもしれませんね(^^;)

失言や無学を隠すことができますからね。

↑こういった、決め付けた発言が災いをもたらすのです(;^_^A

和田アキ子さんに限らず、芸能人や政治家、評論家等々テレビやラジオに出ている人たちの発言は電波に乗ってしまうのですから、そこらの立ち話とは全く違って口から出た言葉に責任をもたなきゃいけないんですね。
特に生番組では編集もできないですからそれは全く怖いもんですね。

私たちが、日々発している言葉ですら何らかの小さな影響を与えることがあるのですから、言葉はホントに怖いものですね。
失言を少なくするのは、日々言葉に注意することが大切でしょうね。

政治家の失言なんて、普段そう思っているから出るものだと思いますよね〜(^^;)

挫折と不義理の代償は大きいね…


挫折を乗り越えれば人間がひと回り大きくなるといいますが、凡人はなかなかそうは行かないものですね。

今日、昔の仲間から飲みのお誘いがありまして、その中に私が大変に不義理をした方がいるということでお断りしました。
いわゆる合わせる顔がないってことですね…
もう10年以上も前にコトになりますが、不義理を行ったことって消えるものでもないし、それを乗り越えられない自分を再発見したような気がしました。

私は、自分としては幾つかの挫折を重ねてきながら薄ボンヤリとした今を生きていますが、他人を巻き込んだ挫折ってのは全く挫折の種類が違っていまして、それを知ったのは他人を巻き込んだ挫折をしたからなんですね。
何事も体験した方が良いとは言いますが、やっぱり体験しないで生きていければ良いことも沢山あるようですね。

フト危険を感じる時てないですか??


座っての仕事が多いので、毎日ボチボチ歩いてます。
たまに、駆け足をしたりしてますが、結構ジョギングやウォーキングをやっている人が多いのですよ。

そして、歩道ですれ違う時フト路上での殺傷事件のことを思ったりします。このすれ違いざまにグサッて刺されることってないとは言えないな〜ってね。
もちろん、相手よりも風体の悪い私に対して危険を感じている人も居るかも知れませんけどね(^^;)

駅のプラットホームでも時々後ろから冗談でもなんでもポンと押されるってことを思うこともあります。
不特定多数の人たちが居る場合は、暗黙の了解と言うかモラルというか社会のルールというのか、最低限無茶はしないだろうということを前提に人ごみに居るわけですけどそれがどこまで信じれるかってことですよね。
その暗黙の了解にフト不安を覚えるんですね。

どっちにしてもゴルゴ13でもない限り、すれ違いざまの通り魔事件、ひったくり事件等、不意をつかれる事件にはまず対処できそうにありませんね。

私たちの周りには、想像もできない事件や事故が沢山ありますが、どの事件を見ても他人事のように判断している自分が居ることに疑問を持つくらいの方がいいかもですね。
いつ自分の身に降りかかってもいいような覚悟っているんでしょうね。

事件でもクジでも運の良し悪しを良く口にしますが、人生そのものが瞬間、瞬間の偶然を繰り返しす点が連なってから時間っていう線の上に乗っかっているんでしょうから、「運」については結果を見て勝手に判断しているだけと思うんですね…(^^;)
でも実際はそうだろうと思いつつも、日々の中では「運」に頼る自分が居るのですが…Σ( ̄ロ ̄lll)

弱きもの汝の名は人間…かな(;^_^A

だから皆さん、猫のように野生の感覚を捨てないようにして、自分自身の危機管理をしましょう!
それでも、不運に見舞われた時は諦めましょう〜(;^_^A

残念だけど、努力は天才には勝てないのです!


漫画の巨人の星で努力の人左門豊作が天才花形満に対して「努力は天才に勝つ!」と言ったのですが、実際には努力は天才に勝てないんですね。

ナゼ?それは、努力は天才もできるからです。
大リーガーのイチロー選手と同じ練習をやればイチロー選手のようになれるかと言えばなれないでしょ?
イチロー選手は天才だからです。天性の素質の上に人並み外れた練習をこなしているから世界的なプレイヤーになれたんでしょうね。

でもそれではつねに天才が勝つのかと言えば、相手の天才の分野で対戦すればそうですね。
イチロー選手は野球の天才なんです。だからイチロー選手と野球の勝負をしてちゃ絶対に勝てません(^^;)
でもイチロー選手は、裁縫の天才ではないと思うので裁縫が得意な方と勝負すればイチロー選手は負けるでしょうね…

天才ってつい勘違いしてしまいそうですが、ある分野の天才なんですね。
天才だからって、人間性を含めて全てに秀でているってことではないんですね。
人にはそれぞれ守備範囲があって、その中では力が発揮できると思うんですね。だから、自分の力が発揮できる分野で同じ努力をすれば他の人よりも先んじることができる可能性があるってことですね。

しかし、この自分の得意分野を見つけることが難しいのです…(T_T)

自分にはこれが合っていると思っても、天職ではないってことが普通ですよね。

昔は、この仕事は絶対自分の天職だと思っていたこともありましたが、ほんの数年で天職でもなんでもないってことを悟ったことがありますΣ( ̄ロ ̄lll)
そんなこんなの紆余曲折を繰り返しながら、派手な花火を上げることだけが人生じゃないな〜ってことに行き着きました。

ある分野の天才だから人生の勝者とも言えない気がするし、天才であるがゆえの凡人にはわからない苦労は並大抵ではないと思うのです。

自分の世界でコツコツと小さな努力をして積み重ねていける人は、天才じゃないとしても立派な人生の勝者ですよね。
左門豊作も天才なんですが、その上を行く天才が花形満だったんですね。そして諸事情もあり星飛雄馬の大リーグボールは打てなかったけど、沢山の兄弟を幸せにできたことは立派ですよね。

努力は天才に勝てないけど、どんな凡才でも努力はできるのです。

そんなことを思いながら、今からでも自分にできる範囲の小さな努力をすることから始めようと反省する私です(;^_^A

若返えることができたら何をする?

昨日ダチがきまして、なにげに「お前、今のままの知識を持って22歳になれたら何する?」って聞いてきました。

う〜ん、時々昔に戻りたいとは思うけど、はっきり聞かれると中々答えられないですね…
結局質問に対する答えになっていないのですが「年を戻すよりも注意散漫な性格をなおしたい!」ってな感じで答えました…

考えていた時に、今の性格のままだったら多少結果が違うかもしれませんが似たり寄ったりの人生になりそうな気がしたんですね。
だったら、22歳に戻らなくてもいいかな??っと思った次第ですf(^_^;

若さを羨んだり、戻りたいって気持ちはありますが、戻っても今まで歩いて来て経験した良いことも悪いことも何がしかの形で繰り返すことになりますよね。

今の人生で悩んだことが解消されるかも知れませんが、今の人生で経験していない辛いことを経験することになるかも知れませんよね。
それは、とても耐えられない事件になる可能性だってあります…
戻ることによって、今の人生の不の部分だけが解消されるってこた〜ないでしょうからね(^^;)


適度に楽しく、適度に悩み悲しみ、適度の期間の人生を過ごせれば、何はなくともそれは幸せの部類に入るんじゃないかと思ったりしています…

毎日の習慣の中に浸りきってはいけないんじゃない?



今朝起きましてフト思ったのですが、人の職業や生き方によって人の心って変わるんじゃないかな??と…

自分が習慣として朝起きて、飯食って、仕事して…って流れで暮らしていますが、同じようなパターンの方も少なくないんじゃないですかね?
事務職の方、営業の方、技術職の方…等でその内容ってかなりバラツキがあるとは思いますけどね。

そういった習慣を長く続けることで、いつのまにか毎日繰り返していることに身体と心が馴染んでくるんですね。
そう、馴染めば馴染むほどに、同じ労働が楽にこなせるようになるから当たり前のように順応していくんでしょうね。
プチ進化論かも知れませんね…
イヤ、プチ後退論かも知れませんね…(^^;)

でも、この馴染みって注意が必要ですね。この馴染んだ日々に浸りきってしまうと離職、つまり梯子が外された時に対応ができなくなるんじゃないですかね?
考え方はガチガチになってて、プライドは山より高く、給与は一人前以上に求めるって感じのタイプはつぶしがきかないですよね(;^_^A

以前、新聞のコラムだったと思いますが、前述のことが現実にあるってことが書いてありました。

早期退職した大手企業の役員さんが中小企業に面接に行って
「なにができますか?」と聞かれたとき。
「取締役ができます」と答えたそうです…┐(-。ー;)┌

実話のようですよ!

人の人生っていつどこでどんなアクシデントが発生して、生活が変わるかも知れません。
だから、フレキシブルな脳みそを維持するようにしましょう!
仕事の他にも趣味も必要だし、業界以外の方との交流も大切ですね〜!!

その時には、高すぎる壁を作っちゃダメですよ!
プライドも自慢もいりませんよ!

あなたの自慢話を聞きたい人ってゼロですからね!(^v^)v

視野が広がっていけば、梯子が外されてもなんとかなるかもですよ!

仮想現実の疑似体験が増えてきた!実態はどこに??



私がバーチャル(仮想現実)って言葉を知ったのがもう15年以上も前になるでしょうか…
パソコンって言っても、経理ソフトが入っているだけのモノや、編集するためのモノという単一の仕事専用機って感じのころですね(;^_^A

そしてバーチャルの世界で疑似体験ができるというのでイロイロな試みがされていましたね。高価なコンピュータを駆使してかなり大変な作業で試作をされていました。
今では、10万円のパソコンで十分にできる作業かもしれないですねΣ( ̄ロ ̄lll)

おかげで今では、飛行機の操縦、タンカーの操舵等もバーチャル映像を使った訓練も取り入れられているようですね。

でも、こうして仮想とか疑似体験とかに頼りすぎるのは決して良いことじゃないですよね。
子ども科学電話相談でも、虫のことが詳しい子どもが、実際にはその虫を見たことがないっていうのが多いのですよ。
サワサワ動いている虫を見たり触ったりしなきゃダメなんじゃないかな?
虫に刺されたり、噛まれたりしてこそ虫の生態が理解できると思うんですね。

現実は、仮想の世界と違ってリセットでやり直しってのができないから、何かをやる時には創意工夫が必要になりますよね。

ってことは、そういった創意工夫と失敗を繰り返しながら多くの実体験を積むことが、とても大切になると思うのです。
そうすれば、自然にいろんなことが身についてきます。

前にも書いたけど、物事の本質ってあまり変わらないってことが解かっていれば、知らなくてもなんとかなるコトが沢山あります。
それが実体験の上に積み重ねられれば、物事に対する適応力ってのが格段に上がってくるでしょうね。

特に無限の可能性を秘めている脳を持つ子どもたちにはとても大切なことだと思いますね。
アイデアは生活を便利にしますが、便利な道具を使うことしかしなくなると、賢くなるのはアイデアを考える人だけになてしまいませんか?

益々バーチャルの世界が広がるこれから、実体験の大切さを忘れないようにしたいものですね。(^v^)v

岡目八目って良く言ったものですね〜(^^)


岡目八目は傍目八目とも書くようですが、囲碁から生まれた言葉ですね。

意味は、傍観者の方が当事者よりも物事のよしあしや真相を正確に判断できるということです。

つまり、対局している人(当事者)よりも側で見てる人(傍観者)の方が八目も先が読めるという意ですね。

ネット将棋で強い人の対局を観戦することができるのですが、結構次の1手は当たるものなんです。でも、その1手の意味を分かっているのかと言われれば分かってないってのが答えになりますがね…(;^_^A


傍目八目っていう傍観者の意見って大切ですよね。

人から相談を受けることがありますが、多くの場合考えが同じ所をクルクル回って新たな答えが生み出せない状態になってるように思いますね。
もちろん、自分が悩んでいる時は当事者として考えが堂々巡りで悩みの解決策が見出せないでいますよ(;^_^A

なぜなのか自分に当てはめて考えてみると、
当事者の場合は、考えの中に様々な利害や欲、自分の立場等々…
いろんなシガラミが考えに影響を与えているから、取捨選択が中々できないからなんですね。

でも傍観者の場合は、悩みに対する答え「YES」か「NO」かを現状に照らし合わせてシンプルに判断できるので、往々にして正しい答えが導き出せるのですね。
そこにはシガラミがないからね(^^)

そうしてみると、何かあった時に相談ができる「人」を持つことって大切ですよね。
ってなことを言ってますが、私の場合は相談下手なんで相談を受けることは結構ありますが、相談をすることってあまりないんですよね… ←人間が素直じゃないんですね(^^;)

傍観者から八目先の状況を判断してもらうって大切なんですよね。



八目先が読める「信頼できる人」探しが大変かもですね…Σ( ̄ロ ̄lll)

↑だから自分の性根すら知っている「友」「親友」ってのが大切なんでしょうね…(^v^)v

悟りはつねに脚下にあるぞ!三四郎!!



今、ちょっと思い出したので↑これについて書きます(;^_^A
この言葉は、結構好きな言葉でして、
昔テレビで「姿三四郎」の中で三四郎が師匠に言われた言葉なのです。
真実は足元にあるっていうのは分かっているつもりでも、ふとしたことですぐに足元がお留守になってしまう私にとっては足元を意識するなんてことは中々難しいことですね(^^;)

この言葉は、真実は足元にあるってことだと思うのですが、全てのことには「YES」と「NO」しかないって取ることもできるんじゃないですかね?
私は、「YES」とも「NO」とも言えないってことは突き詰められていないってことでして、原理原則から言えば全てに二者択一が成立するはずだと思ってます。

自分自身を判断するのは苦手なんですが、人から相談を受けたりすると「YES」と「NO」の考え方は役にたつと思うんですね。
また、物事の本質が「YES」と「NO」であるとすれば、何事も枝葉のことで異なるだけで、本質(幹)は変わらないって判断できませんか??

遊びであれ、仕事であれ、やり方は違うかも知れませんが、求める結果は大同小異なんですね。
例えば、誰かとミーティングする場合、相手の土俵(専門部分)に上がらずに世の中の常識論を基本に話すといいってことですね。但し、具体的に落とし込まなくちゃいけない話は別ですが考え方は使えますよ(^v^)v

お客様を接待する時、相手の好きな題材に対して自分がわからないことを素直に聞くことに徹すると、相手は優越感を感じながら会話ができるので満足していただけることが少なくないですよ〜!!(^v^)v
人の自慢話は聞きたくないが、自分のことは自慢したいって方がほとんどですから使えるんですね〜!!
世の中「小山の大将」だらけなんですよねf(^_^;


↑これらのこと全部まとめて
「悟りはつねに脚下にあるぞ!三四郎!!」
って言葉に集約されていると勝手に思っている足元をしっかりさせたいタコです┐(-。ー;)┌

新しいカテゴリ「人生アレコレ」を追加しました〜


人生って言葉は、結構気軽に使っているけど生きざまを含むから本当は難しい言葉だと思うんですよね。

特に私のようなオヤジが人生って言うと、10代の子供たちが言うのと違って何かの重みみたいなモノが必要になってくるように思いますね。

そんな重みがないなら、愚痴に交えて言うなら言わない方が嫌われにくいですね(;^_^A

思春期には、人生や生きている意味を考えてましたが、生きることが習慣になっている今、改めては「人生」ってこと考えない人も多いんじゃないかな?
だって「人生」が何者であっても今の生活を淡々とツツガナク過ごしていければ十分に満足できる人も少なくないでしょうし、不満足な今を過ごしている人にとっては「人生」を考えているどころじゃないですよねΣ( ̄ロ ̄lll)

でも、普段から考える必要なないけど、人生観として何らかの答えを持っていなければいけないと思うのですね。

もし、子供たちや若い人に自分の人生観を聞かれたとして、どれほどの大人がすぐに答えられるでしょうか?
「お前はまだまだ青いの〜!」とか言ってごまかしてはいけないコトだと思うのですが…

中には、一つの目標に向かって進んでいる「生きざま」自体で人生観を表現されているような人もいらっしゃいますし、何かを成した方がしゃべる言葉自体に人生観が滲み出ているので名言として残るんでしょうね。

私のような凡人にはとても身から醸し出すような人生観はないので、何等からの答えを出しておくことが必要だと思っています(^^;)
でも、これってものが見出せていないってことは、大した人生観もない人生を送っているんでしょうね┐(-。ー;)┌